倭建命(やまとたけるのみこと)

神様の御用人に登場する神々

日本の神話ではあまりにも有名な神ではないでしょうか。

古事記では
倭建命(やまとたけるのみこと)
小碓命(おうすのみこと)
倭男具那命(やまとおぐなのみこと)

日本書紀では
日本武尊(やまとたけるのみこと)
小碓尊(おうすのみこと)
倭男具那命(やまとおぐなのみこと)

という呼び名が出てきます。

第12代景行天皇の次男で、母は播磨稲日大郎姫。

第14代仲哀天皇の父とされます。

多くの神話(逸話)が書かれていますが、古事記で
順を追うと次のようになろうかと。

「兄を殺害(事故とも)したことで、父に征西を命じられる。

九州南部で熊會猛兄弟を討ち、出雲で出雲猛を討ち帰還するも
父からさらに東の平定を命じられる。

伊勢の大御新宮の斎王の叔母:倭比売命から草薙剣を授かり
東進する。

相模国(神奈川)で国造(くにのみやこつ)のうらぎりから
火攻めにあった時にこの草薙剣で草を刈り、迎え火で
難を逃れ、国造を打ち払った。(この場所が焼津)

帰還途中、走水の海の神の所業で船が進退窮まった折に
妃の弟橘比売を生贄にせざるを得なかった。

さらに北上し、各地を平定したのち帰還途中の尾張で美夜受比売と結婚し、
草薙剣を持たず伊吹山の神を討ちに行くが、病を患い能煩野で息を引き取った。

倭建命の死を知り、妃や御子たちが悲しむ中、
肉体を脱ぎ、魂が白い鳥となり飛び立ったといわれ、
途中降り立った、場所に陵墓が作られている。(白鳥伝説)」

簡単に書くと以上ですが、興味のある方は古事記、日本書紀を
紐解いてみてください。

白鳥伝説に登場する墓(陵)は以下の3つ
能褒野墓(のぼののはか)三重県亀山市田村町
白鳥陵(しらとりのみささぎ)奈良県御所市富田
白鳥陵(しらとりのみささぎ)大阪府羽曳野市軽里
日本武尊白鳥陵(軽里大塚古墳)
大阪府羽曳野市軽里三丁目
近鉄南大阪線 古市駅下車、徒歩約20分

また、叔母の倭比売命から授かった草薙剣は、
須佐之男命が八岐大蛇を多事したとき尾から取り出した剣とされています。

古事記と日本書紀では倭建命のイメージがずいぶんと異なるように描かれています。

日本書紀では、兄の大碓命を殺したという記述はなく、大碓命を臆病者として
描き、倭建命を英雄視させるイメージで描かれていますね。

どちらの倭建命が本当の姿かわかりませんが、神様の御用人(5) (メディアワークス文庫) [ 浅葉なつ ]では、
父、景行天皇に疎まれながらもなんとか父から認めてもらいたいという思いを抱いていたであろう
倭建命が、御用人への御用を通じて描かれています。

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